海光町石畳地区

熱海駅から湯河原に向かい国道135号線1.5km程いった海側の傾斜地に、自然石を敷きつめた坂道が今だ残っており人気を博しています。

日経新聞日経プラス1(平成25年7月6日)では「一度訪れてみたいあの坂」で全国7位にランクされました。

今回は石畳地区を巡りながら熱海の古き良き時代をご紹介します。

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水光荘付近(石畳の始まり)

水光荘付近(石畳の始まり)

国道より海に向かって少し下ると道が二つに別れます。そこにはかつての海軍の寮であった「水光荘」があります。

海軍大将山本五十六のときの建物で、かつては内部の展示を見ることができましたが今は出来ません。左折する場所から石畳がはじまります。

石畳はかつてGHQが熱海ホテルに駐留するに際し、ぬかるんだ道路に花崗岩の石畳を敷いたことに始まりました。

 

熱海ホテル

左手の高い石垣を見つつしばらく歩き右折すると「熱海ホテル」の跡地があります。かつては熱海の代表的なホテルの一つでしたが昭和52年(1977年)に取り壊され空地となっています。

このホテルは、昭和5年(1930年)山田馨の設計。国際興業が経営したスパニッシュ様式の美しいホテルとして親しまれてきました。熱海には国の重要文化財・旧日向別邸がありますが、その設計者であるブルーノ・タウトも訪れています。

海岸通りにある現在の二代目お宮の松は、ここより移植されたものです。(初代のお宮の松は現在、市役所第三庁舎の玄関にその根が保存展示されています。)

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(当時の熱海ホテル)

ここを左折すると急な勾配となり海に向かい伸び、素晴らしい眺望とシックな石畳の絶妙なバランスの景観の場所に出てきます。

野村塵外荘

更に進み右折すると野村塵外荘(のむらじんがいそう)の洋館が相模灘を背景にし、素晴らしい姿を見せてくれます。これは野村徳七氏(野村證券・大和銀行の創始者)の別邸として昭和14年に竣工したものです。

塵外とは高山樗牛(1871―1902・思想家、評論家)が、『熱海には塵外(俗世間を離れた)の楽しみがある。』といった故事に由来します。石畳に面しウバメガシ生垣が門際まで延び閑静な雰囲気を醸し出しています。(昭和14年竣工、RC3階)

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道路からはその建物は見えませんが、両建物の間の高い石垣の上に、平櫛田中(でんちゅう)旧宅があります。

平櫛田中(1872―1979)は、文化勲章受賞者で岡山出身の彫刻家で、熱海の文化勲章受賞彫刻家・澤田政廣の師匠でもあります。政廣は93歳で亡くなってしまいましたが、平櫛田中は106歳まで制作活動を精力的に続けました。

坂は回遊しており野村邸を下ると、海を展望する平地となり再び昇り坂を進むと下に戻ることができます。

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アクセス

住所/熱海市海光町

交通/熱海駅より徒歩約15分/バス利用は海光町下車

駐車場/なし

澤田政廣

sawadaseikou熱海の海辺に育った澤田政廣(さわだせいこう 1894~1988)は、本名を寅吉といい、熱海の海辺に育ち19歳で彫刻家を志し、高村光雲(たかむらこううん)の高弟山本瑞雲(やまもとずいうん)に師事しました。93歳で没するまで、多くの木彫作品をはじめ、絵画、陶芸、版画、書など、さまざまな芸術領域にわたり意欲的に創作しました。

澤田政廣記念美術館は熱海市名誉市民で文化勲章受章彫刻家である澤田政廣の彫刻、絵画、コレクションなどを展示している美術館です。館内では多くの彫刻作品が展示ケースに入れられることなく展示されており、代表的な木彫作品に見るノミの跡からは、作者の息づかいまでが伝わってくるかのようです。美術館は四季折々の自然が楽しめる熱海梅園に隣接して建っています。

澤田政廣記念美術館