伊豆山地区
走り湯
伊豆山地区では伊豆山神社が有名ですが、その他にもお勧めの吟行スポットが点在しています。前回紹介した伊豆山神社の参道の始まりである走湯神社は撮影スポットとして一度は訪れたい場所です。
走り湯は熱海ビーチラインからすぐ脇に入ったところにあります。日本でも珍しい横穴式源泉で日本三代古泉の一つとなっています。10メートルほどの洞窟の奥には源泉が湧き出していて、走るようにお湯が海に海岸に注ぎ落ちるところから「走り湯」と名付けられました。
源実朝が「伊豆の国山の南に出づる湯の早きは神のしるしなりけり」と詠んだことから、明治以前は伊豆山神社の神湯として信仰されていました。現在も洞窟から70度の湯が一日7,000トンも湧き出ており、神秘的な光景が広がります。
走湯山縁起・走湯山秘訣
伊豆山神社の縁起「走湯山縁起」は伊豆山の神様の物語です。日金山を頭にし箱根芦ノ湖を尻尾にした龍とする赤龍、白龍による温泉湧出の話や、三つの龍玉と頭による「伊豆」命名由来、千手観音の住まう伊豆山、日精・月精とその乳母初木姫など走湯山の誕生にかかわる縁起が綴られています。2011年30mにわたる絵巻物が完成し披露されました。残念ながら通常は非公開となっていますが、ミニチュア版が限定販売されています。
役小角・修験霊場
応神天皇(273)の時代に日金山頂上に現れた円鏡を松葉仙人が奉祀し日金山東光寺を開設したのが走湯権現の始まりとされています。文武天皇三年(699年)修験道の開祖・役小角(えんのおずぬ)が走湯山に堂を建立し、以後は修験道場として大きく隆盛しました。多くの修験者が伊豆山(走湯山)に入山して関東の修験霊場として栄えました。
伊豆山権現は箱根権現と合わせて二所権現と呼ばれ、鎌倉時代には鶴岡八幡宮に次いで関東武士の信仰を集めました。本尊の延命地蔵菩薩像は源頼朝の寄進ともいわれています。伊豆山神社の足立権現社にはその像が安置されています。また熱海の文化勲章受章者である澤田政廣も小角を「隠者」(1963)と題し69歳で制作しています。(澤田政廣美術館所蔵)
般若院
般若院は真言宗の古刹で山号は「走湯山」となっています。(伊豆88箇所霊場24番札所)
般若院と大師堂、その鐘楼からなるこの場所は、広くはないが深い緑に覆われて落ち着いた佇まいをかもし出しています。源頼朝・北条政子が一時はここに住んでいたと言われています。応神天皇時代 (271)、承和三年 (836)僧賢安が、観音堂を創建したのが始まりだと伝えられており、伊豆山権現立像は鎌倉時代の作で国指定の重要文化財となっています。
神仏分離で伊豆山神社からここに移され、鎌倉時代から江戸時代まで、源頼朝・足利家・家康を始め、徳川将軍家が代々寺を保護し参詣されました。鎌倉時代は、伊豆山権現・関八州の総鎮守として崇められ、歴代鎌倉将軍の信仰をあつめました。太子堂には、弘法大師自らが刻んだといわれる大師像が安置されています。
室町時代には足利将軍家の他、文人、高僧、旅行者が湯治を兼ねて参詣し、江戸時代になると、熱海に湯治に来た諸大名は参詣し走り湯を見物し熱海の名声を高めました。
徳川家康は焼け残った神宮寺に「走湯山般若院」の称号を与え伊豆山三所権現を復興しました。これにより江戸時代の伊豆山は12の僧坊と7つの修験坊を有するなど繁栄しました。また、走湯山般若院は真言宗伊豆派(当時)の本山として関東一円に大きな勢力を誇りました。明治元年神仏分離により伊豆山神社から現在の場所に分離されました。
アクセス
走り湯
住所/熱海市伊豆山604-10
交通/熱海駅より「湯河原」方面行きバスにて約5分→「逢初橋」下車→徒歩約10分
駐車場/なし
般若院
住所/熱海市伊豆山371-1
交通/R熱海駅→東海バス七尾団地行き、または七尾原循環で6分、
バス停:般若院前下車、徒歩すぐ
駐車場/なし
問い合わせ先:伊豆山温泉観光協会 旅館組合 TEL:0557-81-2631