熱海写真俳句撮詠物語では、「熱海-秘ストア・五七五」のイヴェベント名で 展示会、講演会、コンテスト等を行っています。平成26年は、4月より3ヶ月の間隔で年3回のコンテストを開催します。
これは、熱海市観光協会主催で毎年行っている「熱海写真俳句ストーリーコンテスト」の系統を引き継ぐものですが、当会独自で行うもので熱海市の多くの方々の協賛の下で開催されます。部門は二つです。ふるってってご投稿頂き「楽しみ、スキルアップ、仲間作り」にお役立て下さい。写真俳句を多くの皆様に楽しんで頂き、その普及の一助とならんことを願っています。

 ■ 自由句部門  課題はありません。写真(2L程度)+俳句+物語(100文字程度)
 ■ 課題句部門  当会が提示した写真に 俳句+物語(100文字程度)

 ● 送り方  提示する内容を記入 郵送メール、当会HP上web投稿 等 

後 援: 一般社団法人熱海市観光協会、MOA美術館
協 賛: 蕎麦処「多賀」、菓子舗「間瀬」、酒井恵理子(絵はがき・熱海百景シリーズ)

* コンテストの詳細は こちら(PDF) からご覧下さい。

2014-予定表

熱海秘ストリア五七五01 熱海秘ストリア五七五02

 

第3回・課題句部門 熱海七湯

10月1日 ~12月15日

2014-第3回課題

 小沢の湯・平左衛門の湯

 ここ「小沢の湯」は熱海七湯の一つ。高温の熱湯が常時噴出しており「温泉たまご」を10分ほどで作ることができ、人気です。熱海といえば、「温泉」です。第三回はこの「熱海温泉」を課題とします。「小沢の湯」七湯の代表として課題としましたが、七湯を詠んでいただいてもよいものとします。ここは、元々は沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯を「平左衛門の湯」と称されましたが、土地の人は小沢(こさわ)の地にあることから「小沢の湯」と呼ばれました。

清左衛門の湯と同様、人が大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。この場所での温泉たまご作りは人気で知られ、用意された専用のカゴを使って玉子をゆでることがでる。(道向かいの商店で卵が売られています) また、ここには熱海市の水道水源の1つである「丹那湧水」も併設されおいしい水を飲むことができます。 

熱海温泉の起源

天平宝字年中(8世紀半ば)に箱根山の金剛王院に住した万巻上人(まんがんしょうにん)が、熱海の海中に温泉が湧いてその熱湯のために多くの魚介類が死んでいたのを哀れみ、海浜に祈祷の壇を築いて100日間の勤行に励むと、満願の日に内陸部へと湯脈が移ったので、その傍らに「湯前権現」と称して温泉の守護神として「湯前神社」に少彦名神(すくなひこなのみこと)を祀っている。中世以降広く「湯前権現」と称され、鎌倉時代に源頼朝を初めとする歴代将軍や幕府の要人が走湯、箱根の二所権現に盛んに参詣するようになると、広く湯治の神として喧伝された。

熱海七湯

日本屈指の温泉郷である熱海は、源泉数も多く、豊富な湧出量を誇っています。その熱海温泉の歴史に重要な位置を占めてきたのが、『熱海七湯』と呼ばれる自噴の温泉で、熱海の名湯として知られ、大正年代まで残っていました。(『続熱海風土記』)ですが残念ながら現在は実在しません。平成9年、市制60周年事業の一環として、熱海市の温泉の歴史を築いてきた「熱海七湯」の再整備を行ないました。現在の「熱海七湯」は当時の温泉施設を復元したモニュメントで、現在は、観光用の「熱海七湯」として銀座とおりを約1時間のコースとして紹介されています。
 今回課題の「小沢の湯」(こさわのゆ)は、高温源泉が湧出する七湯の一つです。おおよそ10分くらいでゆで卵ができることで人気です。道路の反対側のお店屋さんで卵を売っていますのでぜひ体験し味わってみてください。
熱海七湯の紹介および、湯前神社の紹介をします。ぜひコースをめぐり句を詠んでみてください。
関連HP:  熱海市観光協会の記事  七湯ガイドマップ(PDF)

 1280-七湯案内図

 湯前神社

熱海サンビーチから銀座通りを通り、左手にニューフジヤホテルを見ながら登った先に湯前神社はあります。クスノキの大木が枝を広げた下の鳥居が目印です。ホテルやマンションに囲まれていますが、ここだけは静かな佇まいを感じさせます。

  鳥居をくぐると右手に少彦名命の像と共に手水鉢があり、熱海らしく温泉が流されています。境内は広くありませんが、小さな鎮守の森を形作っています。境内にある石鳥居と石灯籠はクスノキとともに熱海市の指定文化財に指定されています。祭神は温泉の神様である少彦名神(スクナヒコナノカミ)を祀っています。これは、天平宝字年中(8世紀半ば)に箱根山の金剛王院に住した万巻上人(まんがんしょうにん)が、熱海の海中に温泉が湧いてその熱湯のために多くの魚介類が死んでいたのを哀れみました。そして、海浜に祈祷の壇を築いて100日間の勤行に励むと、満願の日に内陸部へと湯脈が移ったので、その傍らに「湯前権現」と称して温泉の守護神として少彦名神を祀るようになったといわれています。

  中世以降は広く「湯前権現」と称され、鎌倉時代に源頼朝を初めとする歴代将軍や幕府の要人が走湯、箱根の二所権現に盛んに参詣するようになると、広く湯治の神として喧伝されました。

 毎年春秋(2月10日・10月10日)に神前に大湯の温泉を献じて浴客の健康を祈る献湯祭が行われます。江戸時代に江戸城へ熱海温泉の湯水を献上した古例に因みおこなわれており、神前に大湯の温泉を献じて浴客の健康を祈るとともに、「湯汲み道中」が再現されます。

現在の湯汲み道中は東京オリンピックの新幹線開通を記念して再開され、笛伶会が熱海ばやしで先導し、ミス梅の女王や熱海芸者衆、市内の有志が続くユニークなものになっています。

 献湯みこしは若い男女が担ぎ、これを守護する裃姿の道中奉行には、市議会議員をはじめ、名士の方々が多数参加し、市中が賑わう熱海市を代表する観光行事のひとつとなっています。

① 大湯

大湯は熱海銀座通りの北に佇む熱海シンボルで、人工間欠泉として約5分おきに熱泉を噴出しています。

間歇泉として世界的に有名な自噴泉だった「大湯」の噴出は当時昼夜6回でした。噴出時は地面が揺れるようであったといわれます。 明治中頃から次第に減少し、末頃には完全に停止してしまいました。しかし、関東大震災の折に再び噴出を確認されました。

1962年に約5分おきに中央の洞から熱泉を吹き上げる人工間欠泉として整備され、熱海市の史跡に指定されました。「市外電話創始の地」のモニュメントや初代駐日英国公使オールコックの碑と愛犬トビーの墓石も併設されています。

場所/熱海市上宿町 湯前神社下

大湯1

 

② 小沢の湯・平左衛門の湯

 風呂の湯から細い路地を山側に抜けると、日本たばこ産業の前に小沢の湯が現れます。元々は沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯を「平左衛門の湯」と称されましたが、土地の人は小沢(こさわ)の地にあることから「小沢の湯」と呼び、併称となっています。

清左衛門の湯と同様、人が大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。この場所で温泉たまごを作ることができることで知られ、専用のカゴを用意し、向かいの商店で玉子を販売しています。ただし、噴出状況によりできないこともありますからよく確認して下さい。熱海市の水道水源の1つである丹那湧水の飲用水栓も併設されています。

場所/日本たばこ産業前

小沢の湯1

 

③ 野中の湯

小沢の湯からホテルアイオラ脇を抜け、熱海図書館横を上がり中銀ライフケア咲見の入口に野中の湯があります。

この辺りは野中山の麓にあたり、地名が野中であることから、その名が付きました。一帯は、かつては泥の中に湯が噴いて杖で突けば湧き出したといわれています。江戸時代は湧出地が浅かったため、湯をためる湯枡を設けなかったとされています。このあたりの土は丹(赤色の土)に似ていたので、壁を塗る材料にも用いられていました。

場所/中銀ライフケア咲見 入口

野中湯1

 

④ 清左衛門の湯

河原湯からコンビニの横を抜けて再び山側へ移動すると、老舗旅館「古屋旅館」の前に湧く清左衛門の湯があります。

昔、農民の清左衛門という者が馬を走らせて、この湯壷に落ちて焼け死んだので、 その名が付いたといいます。明治までは、昼夜常に湧き出てたえることがありませんでした。人が大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。

場所/古屋旅館玄関前

清左衛門湯1

 

⑤ 風呂の湯・水の湯

清左衛門の湯の前から路地を抜けて、ホテル貫一から少し下った坂の右側(福島屋旅館の西側)に風呂の湯があります。

かつては坂町高砂の庭から湧いていたもので、外傷に良いといわれ、湯気の上騰が盛んだったことから、まんじゅうを蒸したり酒を温めたりして販売していたといわれています。

「風呂の湯」のそばから1.5メートルほど東に湧いていた塩分のない温泉が湧いていました。明治11年、大内青巒の熱海史誌には、「淡白無味常水をあたためるもののごとし」と記されていたことから、「水の湯」と名付けられ、現在も2つの湯が寄り添うようにして佇んでいます。

場所/福島屋旅館前

水の湯1

 

⑥ 佐治郎の湯・目の湯

大湯からサンビーチに向かって下っていくと銀座通りの左手に佇むのが「佐治郎の湯」です。かって佐治郎という者の邸内にあったことから名付けられました。明治時代には上杉助七という者の邸内にあり、その後「新かど旅館」の所有となったことで「新かどの湯」と呼ばれたこともありました。

この湯は火傷、眼病に効くと言われ、別名で「目の湯」と言われました。現在はその効能はなく、高温ということもあり、目を洗うことなどは決してしないでください。

場所/銀座通り・スルガ銀行横

 目の湯2

 

⑦ 河原湯

目の湯からさらにサンビーチに下り、国道135号線の交差点を左に曲がってすぐのところに河原湯があります。

昔はこのあたりを東浜といい、道もなく石のごろごろした河原で温泉が絶えず湧き出ている村人の入湯場でした。湯治客は「大湯」の源泉が主に使われ、他の源泉も限られた家のみが使用するお湯で、 熱海村の農民や漁師や近郷の人達が自由に入浴できるのはこの「河原湯」だけでした。

寛文6年(1666年)小田原城主稲葉美濃守が、 村民のために浴室を設けてその屋根を瓦葺としたため、「瓦湯」と称したとも言われています。

この湯は神経痛やリューマチなどに効能があり塩分が多く、 人が入ると透明な湯が白く濁るほどであったといいます。

場所/国道135号上り沿い・熱海商工会議所近く

河原湯1

 

 

第2回・課題句部門  石畳地区(熱海市・海光町)

 

(終了しました)

 石畳地区

 

 

 熱海駅から湯河原に向かい国道135号線1.5km程いった海側の傾斜地に、自然石を敷きつめた坂道が今だ残っており人気を博しています。日経新聞日経プラス1(平成25年7月6日)では「一度訪れてみたいあの坂」で全国7位にランクされました。国道より海に向かって少し下ると道が二つに別れます。そこにはかつての海軍の寮であった「水光荘」があります。海軍大将山本五十六のときの建物で、かつては内部の展示を見ることができましたが今は出来ません。左折する場所から石畳がはじまります。石畳はかつてGHQが熱海ホテルに駐留するに際し、ぬかるんだ道路に花崗岩の石畳を敷いたことに始まりました。
 左手の高い石垣を見つつしばらく歩き右折すると「熱海ホテル」の跡地があります。かつては熱海の代表的なホテルの一つでしたが昭和52年(1977年)に取り壊され空地となっています。このホテルは、昭和5年(1930年)山田馨の設計。国際興業が経営したスパニッシュ様式の美しいホテルとして親しまれてきました。熱海には国の重要文化財・旧日向別邸がありますが、その設計者であるブルーノ・タウトも訪れています。海岸通りにある現在の二代目お宮の松は、ここより移植されたものです。(初代のお宮の松は現在、市役所第三庁舎の玄関にその根が保存展示されています。)ここを左折すると急な勾配となり海に向かい伸び、素晴らしい眺望とシックな石畳の絶妙なバランスの景観の場所に出てきます。
更に進み右折すると「野村塵外荘」(のむらじんがいそう)の洋館が相模灘を背景にし、素晴らしい姿を見せてくれます。これは野村徳七氏(野村證券・大和銀行の創始者)の別邸として昭和14年に竣工したものです。塵外とは高山樗牛(1871―1902・思想家、評論家)が、『熱海には塵外(俗世間を離れた)の楽しみがある。』といった故事に由来します。石畳に面しウバメガシ生垣が門際まで延び閑静な雰囲気を醸し出しています。(昭和14年竣工、RC3階)道路からはその建物は見えませんが、両建物の間の高い石垣の上に、「平櫛田中(でんちゅう)旧宅」があります。平櫛田中(1872―1979)は、文化勲章受賞者で岡山出身の彫刻家で、熱海の文化勲章受賞彫刻家・澤田政廣の師匠でもあります。政廣は93歳で亡くなってしまいましたが、平櫛田中は106歳まで制作活動を精力的に続けました。坂は回遊しており野村邸を下ると、海を展望する平地となり再び昇り坂を進むと下に戻ることができます。

石畳地区01
熱海駅より石畳地区へ

石畳地区02
石畳地区案内
石畳地区03 
石畳地区入り口「水光荘」
石畳地区04
今は無き「熱海ホテル」概観

 石畳地区の様子  急な傾斜路で注意が必要です。

石畳地区05 石畳地区06
石畳地区07 石畳地区08

 アクセス 住所/熱海市海光町 交通/熱海駅より徒歩約15分/バス利用は海光町下車 駐車場/なし  

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第1回コンテストは終了しました (入賞結果発表)

  第一回 課題句部門  来宮神社・大楠
 2014-第1回課題

 来宮神社は、古くから来宮大明神と称し、熱海郷の地主の神であって来宮の地に鎮座し、 来福・縁起の神として古くから信仰されています。

おおよそ、今から1300年前、和銅三年六月十五日に熱海湾で漁夫が網をおろしていたとき、 御木像らしき物がこれに入ったので、不思議に思っていると、童子が現れ 『我こそは五十猛命である。この里に波の音の聞こえない七本の楠の洞があるからそこに私を祀りなさい。 しからば村人は勿論いり来るものも守護しよう。』と告げられ、 村民達が探し当てたのが、この熱海の西山の地でした。
 また、御神前に、麦こがし、百合根、ところ、橙をお供えしたところ喜んで召し上がった伝えられています。 今でも六月十五日(新暦七月十五日)になると熱海の氏子は海岸に出て、 当時を偲ぶお祭り(七月の例大祭・こがし祭り)が行なわれます。今年春、大改装により内容も充実、境内もきれいになり参集殿も新設されました。熱海のパワースポットの「伊豆山神社」と共に人気を博しています。

 境内にそびえ立つ、全国二位の巨樹:樹齢二千年の大楠は、 幹を一回りすると一年寿命がのびると伝えられており、 この木の生命力にあやかり、長寿・病気平癒・健康祈願のお参りをする参拝者が後を絶ちません。 また、願い事のある人は、思うことを誰にも云わず一回りすると願い事がまとまる、とも言われています。

 大楠01 大楠04
 大楠02  大楠03

住所/熱海市西山町43-1  電話/0557-82-2241
交通/熱海駅より「西山」方面行きバスにて約10分→「来宮神社前」下車
駐車場/あり(無料:普通車数台分)
HP:来宮神社公式サイト、 天然記念樹 大楠
関連HP: