四季の散歩術1

感受性なき散歩は単なる移動

 写真俳句と散歩はセットである。屋内に閉じこもっていては写真俳句は生まれない。たとえ生まれたとしても、私小説的な、ごく狭い世界とならざるを得ない。内閉的な世界から外に目を向けるのが写真俳句である。だからといって、句材や写材が外界だけとは限られない。外界で得た句想や写材をじっくりと見つめて掘り下げる。

4773 散歩はあらゆる趣味が最後に行き着くところである。ほかになにもすることがないので、やむを得ず散歩するという人もいるが、散歩ほど手軽に人生のエッセンスのすべてをつめ込んでいるものはない。四季折々、二十四時間、天候、場所、環境を問わず、散歩は可能である。望むならば、嵐のさなか、あるいは戦場においてもできる。戦場の野点(のだて)よりも散歩の方が手軽である。

 散歩は単なる歩行や移動や行進ではない。歩行や移動や行進には感受性(感性)は不要であるが、散歩には感受性に基づく目(審美眼や鑑賞眼)や、趣味や、好奇心が求められる。感受性なき散歩は単なる移動になってしまう。よくつまらなそうな顔をして歩いている人を見かけるが、それは移動しているだけで、散歩の醍醐味を知らないからである。

 感受性という武器を持って散歩するとき、見馴れているはずの住居付近の風景や、毎日のように顔を合わせる近所の人たち、すれちがう通行人、行きつけの店、目をつむっても、その風景を描けるような日常の環境の中にも、感受性を持つことによって一期一会の未知の世界を見いだすことができる。これが散歩の醍醐味であり、散歩道の悟道ともいえよう。

6597 運動不足を補うために屋内でもマラソンができる機械を買ったことがあった。踏み板の上で足踏みをしていると、カウンターが走った距離に相応する数値を表示してくれる。天候の影響を受けることなく運動不足を解消する便利な機械だとおもって愛用していたが、次第につまらなくなってきた。風景や空気、音やにおいもまったく変わらない環境で、ただ足踏みだけしているのが虚しくなった。医者から体重を移動しなければあまり運動にならないと言われてやめたが、運動以前に感受性が萎縮してくるように感じた。

 

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森村誠一「写真俳句の愉しみ 四季の彩り」(スパイス刊)より

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