写真俳句の制作過程4

写真と俳句は化学変化する

 俳句にも写真にも表現したいモチーフがある。俳句と写真が合体した写真俳句のモチーフはなにか。俳写同格であるが、そのときの状況によって、俳句に重点が置かれる場合と、写真に傾斜している作品に分かれるであろう。それは一句一写ごとに異なる。そこに写真俳句の愉しみの一つがある。

 凡句や凡写が伴侶を得て、まったく別の生命を吹き込まれる。一種の化学変化である。俳句や写真だけでは文芸の世界に化学が入り込む隙はない。文芸にデジカメという最先端の文明利器が入り込むことによって、化学変化が生ずる。

 モチーフそのものが化学変化することがあるか。それも場合によっては起こり得る。たとえば俳写いずれかが先行して、写真俳句となって、写真俳句として化学変化するのが順コースであれば、化学変化を踏まえて、俳句と写真をジョイントする。

 たとえば本書*注の冒頭、春の第一句、「春光の巧(たくみ)と知れど山を恋い」。初めて訪れた土地で、春光弾む奥に青い山影を見て、既視感(デジャビュ)をおぼえる。それが春の光と山恋(やまこい)が相乗した錯覚であることがわかっていても、すでに意識の中で実景と錯覚が化学変化を起こしている。化学変化が先行して、俳句があり、写真を撮影する。

春光の巧(たくみ)と知れど山を恋い

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 第二句、「風薫る彼方に君のうなじあり」も同様の化学変化を前提にしている。女性の美しいうなじにかかる後れ毛を乱すものは、突風や旋風ではなく、薫る風であり、新緑を翻す光る風でなければならない。この場合、薫る風と女性のうなじ、二場の写真は必要ない。どちらか一場の写真を俳句に並べるだけで充分である。

風薫る彼方に君のうなじあり

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 写真の構図や写角(アングル)によっては、いったん並べた写真を差し替えてもよい。写真は替えずに、俳句の言葉遣いを替える場合もある。それはケース・バイ・ケースであり、作者の感性や意識の変化による。

 製作過程を解説、あるいは分析してみると、このようになるが、難しく考える必要はない。要は、自分のおもうがままに感性にしたがって発句し、シャッターを切ることである。一句一写、これはとおもった瞬間を切り取ることによって、自分だけの新たな表現世界が生まれる。これに満足せず、加工し、磨きをかけ、仕上げをする工程において、他人の解説や分析が参考として多少役立つだけである。

 写真俳句にタブーはない。〃技法〃に縛られず、句想の羽ばたくまま自由奔放に発句し、被写体(モデル)に迷惑をかけぬ限り、大胆にシャッターを押せばよい。一句一写入魂の技が完成するとき、会心の作品が創造(クリエイト)されるであろう。

 

注…森村誠一「写真俳句の愉しみ 四季の彩り」(スパイス刊)

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森村誠一「写真俳句の愉しみ 四季の彩り」(スパイス刊)より

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