一杖の余生(誉生)の意志や坂の汗 【夏】

一杖の余生(誉生)の意志や坂の汗

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 老いては子に従えと言う通り、子供の世話になり、孫に囲まれて、猫の蚤取りや、せいぜいゲートボールをして過ごすというのがハッピーな老後のパターンである。だが、最近は子供の世話にならず、別居して過ごす老後が増えてきている。老後ではなく、老立である。

 一応、現役からのリタイアを六十歳とすれば、その後は三期に分けられる。まず老後の初期、年少組が六十代。七十代は年中組、八十代以上が年長組となる。

 六十歳になっても老後という気はまったくしない。まだ現役の尾を残して、第一線に立っているつもりである。リタイア直後はほとんど長という現役の尾を引きずっている。社長、部長、課長、工場長、院長、船長、店長など、さまざまな長の尾を残した人たちが、老後、年少組の仲間入りをすると態度が大きい。当然、老後社会から爪弾(つまはじ)きされる。

 この時期、老後社会にうまく入り損なった人は、現役と老後の境界で行き場を失ってしまう。断乎、老いることを拒否して、人生の決算期をいかに生きるか。この時期の生き方によって、晩節を全うするか否かが決まる。

 人生はおおむね三期に分けられる。第一期は人生の仕込み期間ともいうべき学生時代、第二期は社会人現役、第三期がリタイア後の余生である。個人差はあるが、第一期はおおむね自分のことだけ考えていればよい。第二期が社会に参加して、仕事と責任を分担する。学生時代と異なり、家族や会社や社会、使命等、要するに自分以外の人間や組織のために働く比重が大きくなる。そして第三期が自分自身のために生きる自由な期間である。たとえ人のために働いたとしても、第二期よりも比重が少ない。

 晩節を全うするということは、自分のためにどれだけ自由に、忠実に生きられるかということである。

 私の父は生涯杖を持たなかった。足が丈夫であったせいもあるが、母を杖がわりに頼りにしていたのである。父が母に先立ったが、一人残された母は、これからが私の本当の自由だよと笑っていた。

 老夫婦で妻が残された場合は強いが、妻に先立たれた夫は弱いと言う。女の強さが人生の決算期において現れる。長い坂を一本の杖だけを頼りに登る老女。その毅然(きぜん)たる姿勢には、余生はだれの世話にもならないという強い意志が感じられる。彼女にとって余生は誉生(よせい)なのである。その後ろ姿に母の姿を重ねながら、へたにいたわりや励ましの言葉をかけない方がよいとおもった。

森村誠一「写真俳句の愉しみ 四季の彩り」(スパイス刊)より

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